「 メリー・ クリスマス ! 」

  信愛なる皆様、 メリー・クリスマス ! クリスマス おめでとうございます! 直前になりましたので皆さまに心からクリスマスのご祝詞を申し上げます。 そしてこの地(球)上に、私たちのもとへメサイア(救世主)イエス・キリストを贈って下さった天主なる神様に心からのあふれる感謝をお捧げ致します、 アーメン。
 さて、今日のサムエルのメッセージは今までの人生、My Way を振り返りつつ心を尽くして皆様に「キリストの愛」、「父なる神の愛」をお伝え致します。 私には今も苦難のさなかにあってクりスマスを迎えられる東北の人たちの所まで直接、行って手を握って「神の愛」をお伝えする余裕がありませんーー ですから、サムエル・ファンの多くのサポート、「指込み」、「口込み」によってこの「神の愛と励まし」のメッセージが多くの被災地の人たちに届くことを祈り願っています。
 東北と言えば、今もあの3.11の「天使」(故)遠藤未希さんの事を想うと心がアツクなり涙があふれて来てペンが進みません ーーー
 信愛なる皆さん、 彼女、未希さんが命を捧げて最後まで避難警報の放送をしたその美しい「天使の声」によって南三陸町の多くの人の命が大津波から救われたのです。( 私だったら自分の命を救うためにその場から逃げたでしょう、 怖くて! ) 実に、彼女の行動とその心こそ「クリスマスの心」であります(!) クリスマスに聖母マリアを母として 人となりたもうたキリスト・イエス様は実に、私たち人間の「罪」という人生の大津波の災いから私たちを救い、永遠の彼岸である「天国」に導くためにこの世に来られたのであります。 キリストは山上の垂訓とも言われるすばらしい神のコトバを語られ聞く耳のある人々に「人生の生き方」、「人としての道」を教えられました、しかし、ココまでだったら、ナザレのイエスは歴史上の聖人君子であるだけでしょう。 世界にはそのように思っている人がゴマンと
(5万以上!?)います。 聖書の記述に見るように、 人間としてのイエス
の生涯の最後の十字架の場面は人間、誰しも顔、心をそむけたくなります。
 Why!? 何故!? 何も悪いことはしていないのにイエス様は十字架に釘打たれ槍で胸を突かれ赤い血を流しているのでしょうか!??
  皆さん、ソレは私たち人間、人類の罪の贖い、罪の償いのためでした、
即ち私たち人間の罪の刑罰を身に負って身代わりとなり犠牲の「神の子羊」として血を流すためでアリマシタ(!) 何故なら「 血を流すことなしに
罪の赦しは有り得ない」(ヘブル人への手紙9章22節)という神の定め、律法が在ったからです(!) イエスは水の上を歩かれたように全能であるので十字架の上から降りてその場から逃げることも出来たのです(!)
 しかし、自分の人生(人性)の目的である「贖罪」の御業を全うするために
苦しみ抜かれ最後の血の一滴まで流されたのであります。 あの「平成の陣中旗」のメッセージで記したように、この為に私に示されたキリストの十字架は真っ赤でした。  (しばし 沈黙ーーー )
 皆さん、分かって(信じて)頂けましたか!? 神の愛が! キリストの愛が! クリスマスの本当の意味が!!  ーーー ーーー ーーー
  次回は クリスマス・イブの夕に、 特に、東北の皆様に、神よりの「いつくしみ」のメッセージを お贈り致します。
                   神の一本の小さなペン
                     サムエル 天草
  2012年 12月 22日 京都の東の空の下から